被爆から約1か月後、広島を襲ったもう一つの悲劇「枕崎台風」
出典:ヒロシマ平和メディアセンター「Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第16号) 終戦直後を襲った「枕崎台風」」
(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=50124)
広島の歴史を語るとき、多くの人が思い浮かべるのは1945年8月6日の原爆の日のことだと思います。
世界で初めて原子爆弾が投下され、一瞬にして街は焼け野原となり、多くの命が失われました。その記憶は今も平和記念公園や原爆ドームを通して世界へ語り継がれています。
しかし、広島が経験した苦難は、それだけではありません。
原爆投下から約1か月後の1945年9月17日、広島は昭和の三大台風の一つとされる「枕崎台風」に襲われます。ようやく助かった命も、この自然災害によって再び失われました。
あまり知られていませんが、この出来事もまた、広島の歴史を語るうえで欠かすことのできない出来事です。
この記事では、原爆投下から約1か月後に広島を襲った「枕崎台風」と、その中で起きた知られざる出来事についてご紹介します。
被爆直後の広島を襲った大型台風
1945年9月17日、九州に上陸した枕崎台風は西日本各地に甚大な被害をもたらしました。広島県内でも各地で土砂災害や洪水が発生し、およそ2,000人が犠牲になったとされています。
当時の広島は、原爆によって街の機能そのものが大きく損なわれていました。道路や橋だけでなく、通信網も壊滅的な被害を受けていたため、台風の接近を知らせる情報が十分に住民へ伝わらなかったと考えられています。被害を防ぐための避難や備えも難しく、豪雨による土石流や洪水は各地で被害を拡大させました。
また、当時は原爆によって住まいを失い、河川敷などで生活や避難を余儀なくされていた人も少なくありませんでした。こうした状況も重なり、豪雨や増水による被害はさらに深刻なものとなりました。
被爆者を救う病院で起きた悲劇
特に大きな被害を受けた場所の一つが、現在の廿日市市にあった大野陸軍病院です。
この病院には、広島市内で被爆した多くの患者が運ばれ、治療が続けられていました。また、京都大学原爆災害綜合研究調査班もここを拠点に、被爆者の診療や原爆による健康影響の調査を行っていました。
しかし9月17日の夜、集中豪雨によって山が崩れ、大規模な土石流が病院を襲います。
建物は押し流され、入院していた患者や病院職員、そして被爆者の治療と調査のため京都から派遣されていた京都大学調査班の班員11人を含む、156人が命を落としました。
原爆から生き延びた人々だけではありません。命を救おうとしていた医師や研究者までもが、この災害の犠牲となったのです。
毎年9月には、京都大学や遺族、地元関係者による慰霊が現在も続けられており、この出来事は多くの人にとって決して忘れられない出来事となりました。
Hotel Small Worldで、広島の歴史をより深く知る
Hotel Small Worldは、平和記念公園や原爆ドームをはじめ、広島の歴史を学べるスポットへアクセスしやすい場所にあります。
広島を訪れると、原爆の歴史に触れる機会は多くあります。一方で、この街には、原爆投下後の復興や、今回ご紹介した枕崎台風のように、あまり知られていない歴史も数多く残されています。
当ホテルでは、客室内に原爆や平和に関する書籍・資料をご用意しており、街を巡った後も広島の歴史について理解を深められる環境を整えています。実際に訪れた場所を振り返りながら資料を読むことで、一つひとつの出来事をより深く学べるはずです。
滞在を通して、原爆だけでは語り尽くせない広島の歩みにも触れていただけたら幸いです。
まとめ
広島の歴史は、1945年8月6日の原爆だけでは語り尽くすことはできません。
その約1か月後に襲来した枕崎台風は、被爆から生き延びた人々や、その命を救おうとしていた医療従事者や研究者の命まで奪いました。戦争と自然災害という二つの苦難に直面しながらも、広島は少しずつ復興への道を歩み続けてきたのです。
広島を訪れた際には、有名な観光地を巡るだけでなく、その背景にある、あまり知られていない歴史にもぜひ目を向けてみてください。そうした出来事を知ることが、この街をより深く理解するきっかけになるはずです。