『おりづるの旅 さだこの祈りをのせて』から知る、折り鶴に込められた平和への願い
広島の平和について考えるとき、佐々木禎子さんと折り鶴の物語を思い浮かべる方もいるのではないでしょうか。
『おりづるの旅 さだこの祈りをのせて』は、原爆の影響によって12歳で亡くなった佐々木禎子さんと、彼女の物語が折り鶴とともに世界へ広がっていった過程を描いた絵本です。うみのしほさんが文章を手がけ、狩野富貴子さんが絵を担当し、2003年にPHP研究所から刊行されました。
本書では、禎子さんの体験や、彼女の死をきっかけに子どもたちが起こした行動、そして折り鶴が平和への願いを伝える存在となっていくまでの歩みが描かれています。今回は、この絵本を通して、禎子さんの物語と折り鶴が伝えてきたものについてご紹介します。
佐々木禎子さんが生きた12年間
佐々木禎子さんは、1943年に広島で生まれました。2歳のときに原爆に遭い、その後は大きな健康上の問題もなく成長しましたが、11歳のときに白血病と診断されました。入院生活を送るなかで、禎子さんは回復を願いながら折り鶴を折り続けたと伝えられています。
しかし、願いはかなわず、禎子さんは1955年、12歳で亡くなりました。
原爆が投下された瞬間だけでなく、その影響が年月を経て人の命に及ぶことも、被爆の歴史を知るうえで大切な点です。禎子さんの生涯は、原爆による被害が投下直後にとどまらなかったことを、一人の少女の歩みを通して伝えています。
禎子さんの死を受けて、子どもたちが始めたこと
禎子さんの死後、同級生や友人たちは、原爆で亡くなった子どもたちを慰霊するための像をつくろうと活動を始めました。募金活動などを経て、1958年、広島平和記念公園に「原爆の子の像」が建立されました。
像の頂上には、折り鶴を掲げた少女の姿があります。禎子さんが病気の回復を願って折り鶴を折り続けたことは、この像のイメージにもつながっています。
ここで大切なのは、禎子さん一人の物語にとどまらず、その死を受け止めた同世代の子どもたちが行動を起こしたことです。友人たちの願いは、原爆で亡くなった子どもたちを悼む場所をつくり、後の世代にも伝わる形となりました。
折り鶴に込められた願いが世界へ
折り鶴は、もともと日本で親しまれてきた折り紙の一つです。禎子さんの物語と「原爆の子の像」が広く知られるようになるなかで、折り鶴は原爆で亡くなった人々を悼み、平和を願う気持ちを表すものとしても、多くの人に受け止められるようになりました。
本書の題名にある「おりづるの旅」は、折り鶴が一つの場所にとどまらず、禎子さんの物語とともに国や地域を越えて伝わっていく歩みを表しています。
一枚の紙から折られる小さな鶴は、言葉や文化が異なる人々の間でも共有できるものです。絵本では、禎子さんの体験だけでなく、その物語が人々に受け継がれ、平和への願いを伝える存在となっていったことにも目を向けています。
一人の少女の物語から、平和について考える
原爆の歴史を知る資料には、被害の記録や証言、写真など、さまざまな形があります。
この作品は、絵を用いた児童向けであるため、子どもから大人まで、世代を問わず手に取りやすい一冊です。広島で起きた出来事を知るだけでなく、残された物語がどのように語り継がれ、現在の平和への願いにつながっているのかを考えるきっかけにもなります。
Hotel Small Worldで、平和について考える時間を

Hotel Small Worldは、「平和」をコンセプトにしたホテルです。客室には、広島の原爆や歴史、平和について知ることのできる本や写真、DVDなどを用意しています。
広島の歴史は、過去に起きた出来事の記録だけでなく、その後の人々の活動や、現在まで受け継がれてきた思いにもつながっています。禎子さんの物語や「原爆の子の像」について知ることも、広島の歴史を異なる角度から捉える一つの方法です。
広島での滞在が、この街の歩みや平和について、あらためて考える時間となればと思います。
まとめ
広島の歴史や平和について知る方法は、さまざまです。本や写真、映像など、残された記録に触れることも、その一つといえるでしょう。
Hotel Small Worldでの滞在が、広島で起きた出来事や、この街が歩んできた歴史について知るきっかけとなれば幸いです。